
常盤屋の温泉旅館としての歴史は古く、創業は寛永年間(江戸時代。1624~1644年)だといわれています。 寛永16年、松平遠江守忠親が飯山城主となったときに、野沢温泉に奉行をおいて、浴場を改善して屋敷を作り、城主や家来が入浴するようになりました(常盤屋10代館主富井眞著『厚生と療養―野沢温泉案内』)。以後、霊泉として評判が高まり、1度衰退したものの、温泉町としてにぎわい発展していきました。江戸時代には、庶民の家は2階建てまでと決められていましたが、温泉町の発展を望んだ城主は3階建てを許し、藁葺き3層建ての温泉宿が作られました。 当時の建物の写真が、常盤屋館主のコレクションにあります。 常盤屋旅館は野沢温泉の老舗旅館として長年地元の発展を支え、野沢温泉の時代を築いてきました。
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むかしからの言い伝えによると、天平年間、聖武天皇の時代(1270年ほど前)に、名僧、行基が小菅山に巡行したとき、ここに霊泉があることを知って、その霊効を里人に教えたと言われています。また別の説では、天暦年間(1050年ほど前)に、山伏が湧泉を見出し、世に伝えたとも言われています(『厚生と療養―― 野沢温泉案内』富井真)。 |
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千人風呂といっても千人が一度に入れる大浴槽という意味ではありません。光明皇后が風呂によって1000人に治療を施したことに因んで、千人風呂と名づけられたのですが、常盤屋の千人風呂が大きいのは事実。写真は、「広大にして信州一」と言われていた時代のものです。なぜか浴槽に舟が浮かべてあり、それが人気のようでした。ものの本には、千人風呂に接して大花壇が作られ、周囲の溝には鯉や金魚がいて、宙返りが見られると書いてあります(いまはありません)。 |
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「大湯」は野沢温泉の中央、常盤屋の隣にある共同風呂で、犬養御湯または惣湯とも言っていました。 |
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共同浴場「大湯」から細い斜面沿いの道を行くと、有名な麻釜温泉があります。石畳に囲まれた湯池があり、底から100度近い熱湯が湧き出しています。昔、この熱湯に麻を浸したというので、麻釜の名がつけられたそうです。撮影された当時は、まだ囲いもなく、湯池も5つあったそうです。「名産のアケビ蔓やカブ、ワラビ、フキなどを茹で、卵は4~5分で茹り、酒瓶を入れて 2~3分で上燗になる」(『厚生と療養――野沢温泉案内』富井真)また、「土地の人は、麻釜より立ち上る湯気で、天気を占った」ということが書かれています。 |
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寛永年間(1624~1644年)、共同浴場「大湯」に近い旅籠に安置されていた薬師如来が、たいへん御利益があると、当時、村人にひそかに信仰されていました。 |
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野沢温泉で行われている道祖神祭りは、重要無形民俗文化財に指定されています。 写真は、昭和初期のもので、当時の道祖神祭りは、いまよりも原型に近いようです。 |
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